2016年3月18日金曜日

学校へ行く意味・休む意味



これはすごい本を見つけてしまいました。

時どきいろいろ本を読んでるとすごい本に偶然当たる。これぞそのたぐいです。

私自身の習慣として組み込まれているものに(基本的に)週一回、英語で「仏教」の概論本を読むというNPOの勉強会通い、というのがあるのですが、そこでは最近ヘーゲルも読むぞ、空海もよむんだぞ、という大変な状態になっています。
で、そこのファシリテーターの先生は法学部で近代西洋政治を教えていた教授だった方なのですが、その方との雑談の中で、「近代社会(現代も含みます)とは何だったか」を教えてくれたりします。

また、『ひきこもる心のケア』をめぐってさまざま、読書会なりなんなりで世界が広がったり、本の監修者である村澤先生は『ポストモラトリアム時代の若者たち』という本も出されているので、ひきこもりをどちらかといえばモラトリアム消失の現象としてもとらえている側面があり、「では、モラトリアムとは何だったの?」という議論というか、お知恵拝借というか、雑談というか。本つくりで会っているときによくしてきたんですけど。
『ポストモラトリアム時代の若者たち』もトライしている領域はかぶるんだけど、「ポスモラ」の学術的なノリがきつい人にはステップとしてこの本がいいはず。。。まあ、これは少々無理ある連想の被せかたではありますが。

この本は上記の、自分の体験もろもろそれらの、私自身の問題意識を極めて平易に優しく、隣に座って教えてくれるような文章で「近代の学校ってなに?」というところから。まず現象の本質には何が置かれていたのか?そこからはじめましょう、教えましょう、考えましょうという本です。

これはすごいです。普通に思っている、あるいは忘れてるけど、意識する局面でぼんやりと思っていることをきちんと明瞭な言葉にしてくださっている。例えば「近代の教育は労働と密接につながっている」「その教育の標準化が現実の労働との乖離を生んでる」「生活と、労働に向き合うための教育が噛み合ってない」そんな考えはけっこう周辺でも勉強していくと聞くわけですが、その全体像を俯瞰してとらえ、かつ全然難しく書かない。←これ大事なこと。

この本は「不登校」を論じる本だけど、究極は教育、ひいては近代教育を生み出す近代を論じてる。つまり「社会」を論じている。ひきこもりも究極は社会を論じることになると僕は最近確信していますが(もちろん、全てがそうだというわけではない)、不登校も社会を論じることなのだなあとしみじみ実感します。

これは教育、社会、人間の歴史を考える際に「一家に一冊」的な本だと思います。
何より、着眼の仕方がひとつひとつが新鮮!

現在図書館で借りて読んでますが、余裕ができたら購入します。
まだ読んでる途中だけど、途中までいいものは最後でがっかりするというのは経験的にまず無いので、途中段階でお勧め紹介してしまうという報告です。
まだ推理小説のような紐解き方が続きそうで、読んでてわくわくしますよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿