2015年11月15日日曜日

貧困と人の育ち -人文社会科学からの挑戦ー

 
 今日は友人の誘いで久しぶりに本格的な講演会に行ってきました。
「貧困と人の育ちー人文社会科学からの挑戦」と題した発表者が5人に及ぶ日本学術会議の人文社会科学分野研究者たちの講演会です。
 タイトルにあるとおり、いま注目を集めている子どもの貧困、いえ、正確にいえば「子どもと貧困の関係」に関する研究発表という感じでしょうか。場所は北大の学術交流会館。
 
 トップバッターは日本学術会議会長の大西隆さん。まず日本学術会議というものの性格について具体的な紹介。学術会議の役割のひとつとして政府への提言があるようですが、その中では2014年の9月に人文社会科学分野の研究者で「いまこそ『包摂する社会』の基礎作りを」という提言を行っているという話がありました。また、社会意識調査のデーターが紹介され、日本人の生活意識として自分は「中の中」に属すると答える人が圧倒的に多く、次に「中の下」と答える人が多い。つまり日本人の「中流意識」に変化はないとのこと。この生活意識データーの発表は個人的には少し意外で、驚きでした。
 
 続いて心理学を研究するお茶の水大学名誉教授の内田伸子さん。研究のテーマは「学力格差は経済格差を反映するか」。
 結論からいうと、経済格差が学力格差に直結するものではないというものでした。それよりも、家庭における親の教育において「共有型」か「強制型」かがのちの学力に反映するのではないかという推論でした。
 氏は、主に幼児期の教育を中心に議論を進めましたが、「思考」には「収束的思考」と「拡散的思考」というものがあり、前者はおもに想起、つまり暗記力に象徴され、後者は「想像力」に関係するとのこと。そして大事なのは後者の想像力による思考で、それは後に「PISA調査」と呼ばれる文章問題に有意に反映してくるそうです。想像力が伸びるのは類推(アナロジー)の力と関係し、類推する力は自分が「良く知っているもの」と「知らないものを関連付けられる力に関係するそうです。
 その他、意外にも運動能力の発達に関しても、「バレエ、ダンスなどを習う子」がむしろ発達の力が弱いとか。つまりそれらは特定の身体の部分を使う訓練的な運動であり、また、説明時間が必然的に長くなるため、子どもたちに運動に対する苦手意識を与えることが多いとのこと。ですから子どもの場合、まず「自由な遊び」が大切との話でした。それは先の想像力とも共通する話のようで、絵本の読み聞かせでも子どもの感情に寄り添う「共有型」が大人が子どもの自由な想像を摘んでしまう「強制型」よりも後々の学力の伸びに与える影響の違いが出るので、結論的には「経済格差と学力」よりも、「子どもの自由度と学力」のほうが相関性が高いと伝えたいのではないかな、と思いました。(あるいはいわゆる「文化資本」といわれるもの?)
 それゆえ、なかなかこの話題は興味深かった。
 
 続いて「社会的排除と子どもー外国につながりのある子どもの支援から」というテーマで近大姫路大学の松島京さん。社会学から見た「日本に滞在する外国系の子で保育園に通う子どもたち」のフィールドワークです。外国系の子どもたちの国籍などの背景から始まり、姫路市の保育園での外国系の子どもたちの保育の問題のかなり細やかな生活背景の分析などの研究が語られました。細かい話になるのでここでははぶきますが、保育園側の模索、葛藤、支援者の問題意識などが後半に語られ、子どもたちの親御さんの不安定な就労状況を含め、「さもありなん」というべき問題提起型の研究発表でした。今回は時間がなかったので質疑応答や登壇者間の議論がなかったので、その点が一番惜しかった研究発表でした。
 
 短い休憩を挟んで貧困研究を行っている北大の松本伊知朗さんの発表。関西弁イントネーションの明るい語り口。本日最もダイレクトで、貧困問題のストライクな研究発表です。冒頭で「「貧困の再生産」は宿命論ではありません。みなで考えて、そうならないような修正を考えて行きましょう」という呼びかけをされました。そして現代社会の貧困問題は「食べられない」という絶対的窮乏に陥る「絶対的貧困」ではなく、豊かな社会における「相対的貧困」であるということ。「相対的貧困」は貧困研究の先駆国であるイギリスで1960年代に「貧困の再発見」という形で登場したということです。
 また、「子どもと貧困」はけして近代の話ではなく、大昔からずっとあった歴史的イシューであるということでした。
 議論は日本国の所得再分配機能が弱いために格差が広がること、母子家庭の貧困率が非常に高いこと、子どもの貧困に対する社会政策が遅れていることを指摘。そして現代的な課題として、「家族」機能に関する市場化、生活手段の商品化が進んでいること。そのようになってきているにもかかわらず、なお公共的な支援ではなく、「家族」と「市場」に依存させようとする政策が続いていることを問題にされていました。
 「家族だけで子育てをした社会はない。家族なしで子どもが育った社会もない」という言葉が印象的でした。
 
 最後は同じく北大の教育学研究者で臨床心理士でもある間宮正幸さん。間宮さんの活動領域は若者支援で、就労支援の枠組みでの活動の実践が豊富な方です。間宮さんの話は私たちが今回出した本の内容にかぶる部分が多いので、極力かぶる部分は省きたいのですが、間宮さんは欧州では若者の失業問題に関しては、若者による「暴動」や「異議申し立て」という社会への表現として出ているのに対し、日本では「就労の困難」と同時に「人格的自立の問題」の二重の困難に見舞われている、と憂慮されていました。間宮さんが言われる「人格的自立の問題」は端的に言えばひきこもりなどの若者の内向化の問題で、その傾向が日本固有の難しさと考えておられるようでした。そのようなとらえ方をした上で、ご自身の「ヤング・ハローワーク」での若者の相談支援の実践を通じた報告。その中で就労活動以前に発達障害などの問題が見落とされている可能性や、社会不安が強い若者たち、いじめ被害に苦しんできた若者など、就労以前の問題を抱えている若者たちの事例が多いことに驚きと危機感を持っているようでした。
 ですから、就労への動機付け以前に人間力を高めることのほうが先決、とのこと。それが間宮さんがこだわる「人格的自立」という言葉に象徴されるもののようです。このあたりは自分も本作りの過程などで種々監修の先生とも議論してきたことなので、「うんうん」と頷くことが多かったのでした。
 間宮さんの提言としては●求職活動を「人格的自立」の要求と考え、仲間作りや異質な他者からなる共同体での体験と捉えなおす●彼らの自己信頼の要求に応える●日常の成功体験の積み重ねが必要、というような内容でした。
 
 また、議論の前置きとして若者の抱える困難を「ひとつの構造としてとらえる認識が必要である」「憲法9条、21条、25条とワンセットで考えるべき」「貧困と戦争が現実にセットされている(堤未果さんのことば)」「深層構造の「傷つき」を見るべき」と述べられたことも大変印象的でした。
 
 全体には約四時間近い長丁場にもかかわらず、いろいろなテーマを持つ話者が五人語ったので、時間が経つのもあっという間で。最初に予定された質疑応答の時間はなくなり、また仮にあったとしても予定が十五分で、これだけ広く深い各種のテーマでは意見の集約は難しいだろうなあと思いました。私自身もいろいろな課題をつまみ食いした感じもあり、深い理解にいたるものはありませんでしたが、今後いろいろ考えていく際に広い角度の問題提起が沢山あって、多くの刺激をもらえました。このような内容が無料で聞けるというのは非常にありがたかったと思っています。

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