2011年8月28日日曜日

勝山実さん「ひきこもりカレンダー」


昨日の二日目の札幌での勝山さん講演イベントの前にお借りしたのですが、勝山実さんのデビュー作。「ひきこもりカレンダー」。
おそらく、勝山さんの原点の書であり、心の叫びの書です。
私はこれ、自分の心に直撃しました。素晴らしい!本物だ。
これを読みたかったのだ、と思った。自分は後退しているのだろうか?
ここには魂が宿っています。家族と、社会と、自分とに真っ直ぐに向き合って、闘っています。その闘いも、当時ひきこもりというマイノリティ課題に関し、非常に理にかなった、論理的な闘い。誰がこの本を読んで著者を否定出来ようか。出来るとしたら無視することだけだ。そうです、出来るだけ見なかったことにすること。

ひきこもりの一般的なイメージを覆す本物の、ひきこもりの人の本質をわしづかみにしている本です。
絶版は絶対に惜しい。何故なんだ?と思う。出版社が倒れちゃったみたいだけど。。。
今、この本が新刊で出ても全然おかしくないどころか、社会的な評判を呼んでもおかしくないと思う。ひきこもりの問題が進展してないのか?いや、筆者の筆力ゆえに。いっそ、仮名で同じ本を出しても十分読まれるのではないかと思う。梶原一騎と高森朝雄みたいだけど。。。

勝山さんのお母様からの暴力の話は大事なポイントだと思う。僕は内々の親密な関係ではぐちぐち言うに留めて、基本的に欠席裁判的な事は公には嫌なんだけど、そして勝山さんの主観が多少、仮にあったとしても、母親からの折檻というのは後々に相当程度、響いたと思う。
家庭内に暴力の匂いが満ちている、っていうのは本当に辛いし、実に実に、大変なことなんだよね。。。ひきこもりもこじらせてしまう。僕は本当にそう思う。

僕の場合は、兄と父のいがみ合いと、そのとばっちりによる兄の暴力だけど、少年期に家庭内に暴力の匂いたっぷり浴びると、相当ダメージが大きい。医者とか、研究者はそこら辺はどこまで認識してるかな?自分の場合、中学校もプレ校内暴力校で、荒れたクラスの代表が自分のクラスだったし、アニマル砂漠のような思いを感じたけれど、でも、それ以上に家庭の中がごたごたしている、兄と父の「憎悪週間」が家庭を支配しているのはあの当時は、もう表現できない辛さだったからね。。。(もちろん、本気で憎悪していたのは父に対する兄の側であったが。当時は)。
学校は帰ってこられる場所だけど、家庭は本来、最後の安らぎの場所のはずだからさ。特に子どもにとっては。そこがごたつく。まして母親がとなると。。。想像するだに辛いです。

でも、勝山さんのこのデビュー本は「安心ひきこもりライフ」にも通じる、軽妙なユーモアのセンスも失われていない。これ、渦中の中にあっても冷静さを失っていない証拠。ひきこもりの人が陥りやすい自責の念、結局世間と自分どちらが悪いかの二文法で行けば自分が悪い。会社やバイトが続かず、応募した会社に悪い、親に悪い、周りに悪かった。人間として御免なさい、ダメな人間なんです。。。という敗北宣言には陥っていない。

「ひきこもりライフ」にはデビューから10年後にふさわしい達観があるけれど、10年前の勝山さんは若者らしく、世間や社会とキッチリ向き合って闘う意志がある。「俺だけが悪いわけじゃない」という自己肯定が中途半端なものとしてではなく、キチンとある。これが名人となるポイントなんだな。

支援者や、マイノリティに物見高い関心を示すマスコミをひっくり返す正論パワーがあります。もちろん100%正しい、なんて露ほども思わないけど、世間に流通している正論なんかに比べれば遥かに正しい。

とにかく、ここで自分が向き合う話は非常に論理的で筋が通っています。郵便局員採用試験の話なんて、発見でした。勝山氏の社会の作った仕組みのばかばかしさを突くその話は深く納得。

自分のインタビューが載った本が教育書のコーナーに置かれているのを見て「ひきこもりは教育の問題だとは思わない。もっと深い、社会全体を含めた総合的な問題」とか、ひきこもり脱出の方法本を評して「分かるんです。だいたい本を買うのはひきこもっている本人ではなく、親やその家族です」
全くその通り!良く言ってくれたというしかありません。

前から「どうもそうじゃないか」と思っていた。世間とか、下手な支援者とかいう人たちはどうもひきこもりという人種は人間として何か欠落してるんじゃないか?と一方的に思っているんじゃないかと。
でも、ひきこもりの人の多くは、本当は勝山さんのいうことを内に秘めているんじゃないの?
でもでも、それを言っちゃうと、厄介なマジョリテイを相手に不毛な戦いをしなくてはいけなくて、平和主義者のひきこもりさんたちは、ことを荒立てず、できるだけ面従腹背して恒久的なストライキを確保。花を愛し、森を散策し、音楽をめでて、で、新聞とかは爛々とした目で誰も話しかけられない状態で一字一句読んでたりするのが事実だったりするんじゃないかな。下手な政治議論したらあっという間に論破されちゃうよ。ひきこもりの人たちに。外形で舐めてたんだな~。結局のところ。・・・そんなこともないかい?
まぁ、この本が絶版でなければ、この本を煩わしい誤解者たちに読ませるべきですね。そういう意味では、勝山名人のデビュー作は素晴らしい。

ひきこもり側には自助団体の話も鋭くて、大いに反省を迫らされるし、ひきこもりを取り上げるマスコミ番組について述べる「ドキュメントひきこもり」もいい。実に的確です。中途の短文エッセイが光ってて、社会批評家としての才能も垣間見えます。

いずれにせよ、勝山さんのひきこもり分析は正しいよ。当事者(直に勝山名人から「元」当事者というのはありません、一生付き合っていくのですとご教授いただきました)がほとんどうなづき放しだから間違いない。

かゆいところに手が届かない治療者とか支援者の本を読むより、まずこの本を当事者とその家族は読むべきでしょう。

・・・やはりポイントは家族なんだよな。。。過去の歴史だから、もういいべぇ。無いことに。というのはやっぱりどこか。そう、ごまかしがあるような気がする。重くて深いごまかしが。で、そこは深く掘り下げると「社会」という巨大な岩盤に通ずる。そんな気がします。
 まあ、さすがに高齢者になりきって弱り果てた親にそれをやっては絶対にいかんと思うが。

その意味では、勝山さんは20代のうちに、社会という外部に思い切りストレートに開いて良かったと思います。
でも、オープンだから、軽妙だからと甘く見てもいけないと思う。そういう表現手段を外部にさらすまで、どんだけの葛藤があったんだ?と思うと。勝山さんには感謝してもしたりないと思います。

僕はこの本のほうに「安心ひきこもりライフ」以上に強い感動を受けたのは、僕が精神後退しているからなのだろうか?
いえ、そうではなく、忘れてはいけない、原体験への検証作業に必要な本だからなのだと思う。
誰でも、僕もこの本を読むまでには、「安心ひきこもりライフ」のひきこもりセーフティネット、安心の基盤づくりという勝山名人のひきこもり初心者の混乱を解きほぐす作業の前に、当然ご本人の荒らぶる魂の時代があったはず、という予想はついただろうと思うけど。

確かに怒り、告白、あらぶる魂の片鱗はあるけど、ここには混乱はなく、ひきこもりライフに通ずる冷静さ、客観的な自己分析、転じて社会分析がある。家族というやっかいな代物との向き合い方も。

やはり新刊とともに、このデビュー本は車の両輪だと思います。
僕もアマゾンで購入します。いつでも自分の原体験を確認するために。そういうことが必要な局面の時、一端自分を洗いなおすためにも。
不幸にも?非常に安くて郵送料の方が高い、と名人直々に仰ってましたが。
この破格価格の絶版本。アマゾンで。クレジットカードがなくても購入できるんですかねぇ?

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