2011年8月11日木曜日

ひきこもり菩薩-「安心ひきこもりライフ」を読む


またお久しぶりのブログです。
猛暑が続き、頭がクリアになりません。
昔の人はそれほど暑さをしのぐすべがなかったので、夏は余り難しいことを考えられなかったのではないか?と憶測したりします。その憶測が正しいとすれば、それがいいことかどうかは分かりませんけれど。。。

暑い8月にいま採用されているところを自主退職してしまいました。
もろもろありますが、一言でいえば、いつもの自分の悪癖が出たということです。

1週間くらい何も考えられず、やっと最近に至っていますが、猛暑の本日この夜9時過ぎくらいになってやっと涼しくなり、ブログに久しぶりに書き込んでいます。

ひきこもり名人、勝山実さんの「安心ひきこもりライフ」が発刊され、この8月下旬には何と、野幌札幌にも来られて出版記念講演が行われます。

ツイッターでもかなりな好評。私も早速購入、拝読しました。
私は、昨年、友人に勝山さんのブログを紹介され、「ひきこもり」のイメージを180度反転させるあっけらかんたる、また軽妙洒脱な文章にこれは素晴らしいと感動しました。これほどにビターな日々を乗り超えてユーモアたっぷりにひきこもりや自分の存在を客観化、対象化出来る人がいたとは。
ちょっと水木しげるさんその他の人たちの思想をイメージさせる、日々のエッセイに魅了された一人なので、この本に相当な期待を持ちながら読みました。
で、とりあえず今のところの感想は、やや期待が過剰すぎていたのかもしれないな、という感じです。

おそらく勝山さんのブログ「鳴かず飛ばず働かず」をマメにチェックしているとそれほどには新味を感じることはないかもしれないかな、という感じもするのです。
ひきこもりの人の完全歩合制業務としての、自販機などの小銭探しの話とかはちょっと名人にしては苦しい。ある意味、分かりやすい話だけに。(逆に、4人で1人前の公務員、は真面目に政策として実行されるべき話だろうと思います)。

ただ、勝山さんの中にあるだろう、ひきこもりの人の、あるがままの自分としての確立。他者の思惑(それは悪質な、あるいは善意でもどこか当事者のことをきちんと分かっていない支援者たち)にふりまわされるべきでないという思想は、見事に現実に対する対抗思想として表現されていると思います。
故に、もともとそういう部分に惹かれている自分としては、もっとディープに、深い部分まで突っ込む能力が勝山さんにはあると思っています。
それはいまの本が好評なうちに、次の著作に向けて期待したいものです。

いままでひきこもりについて、当事者自身の手によって、当事者の思想の本質を掴んだ本はなかったと思います。研究者や、支援者が著すものは、究極的には当事者のものではないので、隔靴掻痒の感があります。
だからこそ、勝山さんには大きな期待を寄せるところがあります。現実を誰も気づかぬところで「そうだよね!」と反転させ、その考え方で現実を塗り替える力量を持つと思っています。

ひきこもりの当事者は社会の外部に近い所にありつつ、自分がその内側にないことを嘆き、社会の側はその内側に抱えている問題に対しておおむね無意識です。
故にそこから生産的な表現活動や、思想が発展出来ずにいるのが今までです。
私も、あえていえば、その罪を背負っている一人です。

私が何よりもいま、一番凄いな、たいしたものだなと思う勝山さんの偉大な社会的役割なんだと思うのは、この著作とともに全国行脚を積極的に行っていることです。講演の後の懇談会にまで首座に座っているなんて私には怖くて到底考えられないことです。

その点ですでに「この人をもはやひきこもりといえるのだろうか」という矛盾したような印象も生まれましょうが、その菩薩行こそ、ひきこもりブッタの足掛かりな気がいたします。

私は最終章の「涅槃編」を発展させた次回作を期待するとともに、その菩薩行を拝観したいと思っております。言葉と行動が両方ともなっているだけでひきこもりにとって菩薩行なのですから。

※上手く書ききれなかったところもあるため、感想の続編を考えています。考えていますが、自分にその頭の筋力があるのかは疑わしい所です。

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