2011年4月16日土曜日

安かろう悪かろう

 余りに髪がうるさくなってきたんで、来週からまた訓練が始まることもあり、理髪に行くことにしました。
 よく利用している地下鉄の出口から少し北に面する1500円カットの店に入ったところ、「カットのみ1000円」になっていました。おお、とうとうこの店も激安競争に参加か、と。カット&顔そり1500円で格安オープンして、これは金のない身には有り難い、と思って利用するようになってからもう10年くらいたつのかな?デフレ不況がとうとう理髪業まできたか、と思いつつも利用するようになりました。その後、JR札幌駅にカットのみで1000円の店が登場しました。そちらの方も私、何回か利用しましたが。

 それからここ1年半ほど前からでしょうか、この自分の住む地下鉄駅に近い1500円カットの2丁ほど北側にとうとう1000円カットの店が出現しました。まさに文字通りカットのみなので、ごくあっさりで、整髪もあっさり。なんら情緒的な満足も無い、いたってファストフード的なドライな感覚です。

 さて、上記の行きつけのカットの店で1000円カットを頼みましたが、入った時からどうも店の雰囲気が違う。ここは1500円カットの時から完全分業制で、いわば流れ作業でお客さんの頭を扱ってきました。面倒なコミュニケーションが好きではない自分には向いているのですが、それでもまだ前は多少人間臭い空気はあったのだけど、今日行ったところ、本当にコンビニ的なドライさ。

 僕が自分の髪全体のイメージが出来ないというのもあり、いつでも向こうの最低限の質問にそれで結構です、かあるいはもう少し短めでお願いしますしか注文しないというのもあるけど、その最低限の質問をされた後は髪を切った人間は終わったらすっと店舗の奥に入ってしまうし、後を託された細かな所に刃を入れる役割と最後のドライヤーをかける若者のほとんど人間を相手にしているとは思えない感じ。
「安かろう悪かろう」とはこういうものか、としみじみ思いましたね。顔そりすると1500円のようですが、顔そりはしてもらわなくて良かった。あんな若者には顔そりは任せたくない。

 ちょっとこの店はヤバイな、と思いました。

 昔の床屋さんと言うのは何かとコミュニケーションを求められて、それこそひきこもっている頃はそれが苦痛で仕様がない。その関係性が無い今の格安カットはわずらわしさがなくて良いのですが、その分、流れ作業になっている。ファストフード・カットか、なるほどな。デフレだよな、と妙な納得をしているのですが、その中で時折ベテランぽい人が余り自分の仕事を楽しめてないような姿を見ると、勝手にこの人は昔は理髪店に勤めてたのではないだろうか、あるいは自分で経営していたかも?とか。すると、全体を見ることが出来ない今の仕事をどう思っているかな?とか(あくまで想像ですが)。
 あるいは、人間を相手にしているとは思えない若い人を見ていると、物凄い安い給料で働いていて、理髪屋のプライドとか矜持を知らないまま行くのかもしれないな、とか(これも想像ですが)。

 確かに昔はいま考えると平気で3500円とか取る理髪代は高すぎた。そんな理髪屋さんに行く人はある程度経済力のある中年以上の人に限られているかもしれません。
 理髪業界がどうなっていて、どんな問題意識があるのか別に想像する気もないですが、理髪は昔に比べ、極めて変化が大きい世界のような気がしますので、ついこの生活のアウトソージングの世界で全てが平準化されて味気ないものになっているな、供給できるサービスが思った以上に「計算された」限界点にあるな、と思う事なのでした。

 カネのないやつがいうこっちゃない、つーの。って話かもしれませんが(苦笑)。

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