2010年8月19日木曜日

宮本太郎 『生活保障』書評



 この1月にNHKニュースのシリーズ「無縁社会」ドキュメントの中でSANGOの会も紹介されたが、そのプリ取材の際、記者から聞いた話で印象に残るものがあった。一つは政策的な支援を持たない35歳以上のひこもり者が相当数潜在しているのではないかということと、職場を離れざるを得なくなった40歳過ぎの人たちが居場所を持たず、再就職先を得られぬまま相当数ひきこもりを余儀なくされているらしいということ。社会的な体裁を重んじる世間の傾向に抗いがたく、中長期に渡るひきこもりの人たちと同様に手段を持たぬまま呆然とひきこもりに至ってしまった人たちが同列に浮かび上がる。そんなイメージを持った。その取材の成果が「無縁社会」というキーワードのシリーズの一環となったのは個人的にはいささか暗いイメージとなってしまったなと思いもしたのだが、最近の100歳以上の所在不明者の「消えた高齢者」問題の出現により、まさに「無縁」のキーワードは時代と完全にリンクし、どの現役世代の未来展望をも考え合わせると、今や誰にとってもこのキーワードを無視できなくなった感がある。

 さて、本書・宮本太郎氏の『生活保障』である。サブタイトルの「排除しない社会へ」という言葉に込められた思いがこの社会福祉政策学者の時代の渦中の中における祈りのように響く。今までのやり方では通用しなくなった戦後社会保障政策の沿革を述べた上で、新たな時代の社会保障政策について特にヨーロッパ、北欧の社会保障政策などを紹介しながら格差社会に苦しむ普通の日本人へ向けた渾身の書となっている。
 この本の特徴は『生活保障』という古風ながらも耳新しい用語を使うことにより、仕事で収入を得る、いわゆる「現役世代」の福祉に焦点を絞っているところが画期的である。かつて新書などにおける福祉啓蒙書はおおむね高齢者福祉の論点(医療、年金、介護等)が中心であった。しかし特に今世紀に入って明瞭化してきた企業経営の転換に伴う労働環境激変の結果、労働形態の変化や失業により生じた格差や貧困、医療や年金などの企業内福祉からこぼれ落ちる非正規労働者の問題などを踏まえて、”失業者対策”や”就業訓練”についてなど、「雇用の保障」について真正面からきめ細かくかつ総合的な論考がなされた政策提言となる新書は、待ち望まれながら意外にも今までの日本からは登場しなかったものである。つまり、それだけ雇用と労働の問題はシリアスな局面にあるといえよう。

 産業の変化と労働形態の多様化で働く人たちの分離が例え進んだとしても、人が人として生き生きと存在し、過剰労働にあえぐことなく適切に働いて生きていくことは、今までのシステムが通用しなくなっても当たり前の人間としての権利のはずであり、宮本氏はその”当たり前の再構築”に真剣な論考を深める。人は人生において何らかの過剰なストレスや人間関係において「心の弱まり」に陥ることがある。そのような条件に陥った際においても雇用や生活の保障、人の居場所ありようを考えていく。その際のキーワードは社会からの排除ではなく、社会が人を包み込んでいく「社会的包摂」の概念である。この本のもっとも惹きこまれるところはこのような概念を抽象論で落とし込むことなく、この社会での現実適用を真剣に考えている点にある。難しく絡まってしまった糸を丹念にほどいて行くような筆致が、この本全体を貫き、読む者に著者の誠実さと真剣味を感じさせる。

 私も社会問題や社会的事業等に関するシンポなどに参加するとすでにこの本をベースに各種の課題が考えられているなと思うことが多い。しかし、その個別の問題も現実の壁に阻まれおり、現状ではなかなか難しい状況にあるのが分かる。同時にこの本に描かれる方向性が道筋だというのも社会保障研究者や政治学者たちのベーシックなコンセンサスになりつつあるようにも思う。
 阪神大震災の折に発揮されたボランタリー精神のように他人に対する思いが篤い日本人が、政治や行政が間にはいるや途端に相互不信に陥ると宮本氏は論じているが、消費税導入論議も政治の側におけるお粗末な結果となったのは実にむなしく、氏の論考を証明している。

 「社会の風景が変わる」ことをわれわれ日本人が本気で望んでいるのかということも考える余地が大いに必要だし、「格差」は経済の格差のみならず「問題意識の格差」でもあるのだな、としみじみ思う。しかし繰り返しても良い。この本で書かれた宮本氏の思索と政策提言は当面、全く古くはならないはずだ。多少専門的で読みづらいところもあるかもしれないが、現代日本社会保障論の古典的テキストがここに新たに一冊生まれた。これは請け負っていいと思っている。

PS.
 一度内閣参与の職を辞した湯浅誠氏が参与職に復帰し、失業者のパーソナル・サポートのシステム構築アドバイサーとして働いているはずであるが、その後の進捗状況は分からない。ただ、パーソナル・サポートも現状では貧困に陥る状況を押し留めるサポーターの印象があり、本書で宮本氏が強調するアクティベーション(積極的就業支援)の理想からは少し遠いかもしれない。しかし、方向性は同様のものであり、今後このシステムがより洗練強化される状況を望む者であるが、現政権の休眠状態(情報が前内閣に比べても著しく届かなくなってきた)を見ると、そのポジティヴな動きの第一歩も危うく感じてしまうのが個人的には危惧の念を持つところである。

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