2010年5月5日水曜日

ある意味、子どもの日。

GW最終日です。今日も曇り気味とはいえ、外はとても暖かい。
本日は「日商PC3級完全マスター(ワード編)」で実際に文書の変更問題などを解いていました。
いわゆるビジネス文書の構造というのをまだキチンと把握していないようです。甘く見ていました。
少々継続的に訓練が必要。知識問題も含めて。

午前と午後、父の買い物に付き合うため、車に乗せた時間を挟んで2問解いてみました。

このGW期間、行楽地は混んでいたのでしょうが、全体市内の道は非常に走りやすい状態でした。
昨日は闘病中の友人のお見舞いも。半年振りに。まだ話せないけど、去年の彼の奇跡かと思う回復振りは維持している様子。同い年なのに大変な状況がある。対する自分の幸せ。これはちゃんと認識していなければ。
特養ホームのような同居の人たち。すなわち彼と同世代の人がいないのが可哀想で、そこは看護師さんも同様に思うのか、随分看護師さんたちも彼を気遣って係わっている様子です。特に昨日お世話していた看護師さんは弟さんを事故で脊椎損傷により10年以上病院に入院したまま40代で亡くしておられるとの事のようで、彼のようなケースに関して、やはり特別の思いが湧くのかもしれません。彼を車椅子で外の散歩に連れ出すことが今年の目標とのことで、友人としても心強い話です。彼がもっと元気になれば、ドライブに連れ出してやりたい。

さてそんなこんな。ワードをひと段落した後は、来週の履歴書書きに向けて「キャリアシート」なる何ページにも渡る自分の過去職歴や適性テストの結果などをまとめたシートの仕上げに向けています。
何といいますかね。良い思い出も余り良くない思い出もそれはそれでいいんですが、すべてが「仕事に向けて」「ポジティヴな方向性で」出来るだけ沢山書かなければならないことにどうしても天邪鬼な自分の抵抗感も湧いてきます。

ネガをポジに昇華するのは余程深い徹底した自己分析が本来必要なはずです。
そこが抜け落ちている気がします。

もう一つの疑問が先日も書いた、入職するには同時に「労働契約」の問題が発生する、という視点です。
今は労働基準法上、常用雇用でも3年契約。すなわち、3年ごとに雇い止めの可能性もないとはいえません。
気づかなかったんですけど、多数の人も「契約社員化」の可能性があるんですよね。
まぁ契約の段階で「期間の定めなし」なら問題ないのですが。ですから応募短冊も常雇用であっても「期間の定めがない」かどうかの確認は必要。まずそんな安定職はないですけどね。

それより驚くのは宮本太郎氏の『生活保障』で知ったのですが、2002年からの5年間で初めて就いた仕事が非正規雇用である男性がすでに31%にのぼるとの事。
初めて就く仕事ですから、おおむね10代後半か20代でしょう。これは考えてみれば凄い話です。男性の約3割が02年以後、所謂終身雇用を前提にした新卒採用、つまり正社員になっていないことを意味します。そのような人が今の日本社会で次の仕事が正社員、というのはなかなかハードルが高いのではないか。すると正規社員はどういう世代が担っているか。逆に言えばその人たちがどのようなハードな労働環境にあるかということも想像出来てきますね。

話を戻せば闘病中の友人もとはいえ、おじさんと同世代のまだ一般的には働き盛りと云われる世代。その彼が喋ることが出来ずに文字盤でしかコミュニケーションをとれない辛さはいかばかりか。
哲学的に考えれば、人間「生老病死」の苦しみとともにある、と厳しくとらえれば病の苦しみ。
そしていろいろな状況の変化における生きる苦しみ。-そのようなものと人は付き合っていかねばならないのか。そして老い。死。
もしも定めというか、真理というものがあるとすればそういうものでありましょうか。
深刻なひきこもりに苦しむ人などもまさに「生の苦しみ」を生きているということかもしれません。
それをつまびらかに、明らかに出来たときに何かが開けるのでしょうか。

人間が生きるということは、目の前の目標に進むということと同時に、俯瞰してみると道理通りには行かないことを持って「自分と人間を考える」という両面を持っているということかなと思います。その両面のバランスをどう保つかがポイントの気もしますね。

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