2018年1月7日日曜日

架空対談・私の2017年の10冊(3)村に火をつけ、白痴になれー伊藤野枝伝


S「さて、三冊目は栗原康さんの伊藤野枝伝、『村に火をつけ、白痴になれ』です。

K「アナキスト、大杉栄のパートナーにして、大正アナキズムの女性活動家、伊藤野枝の評伝です。アナキズムとは何かとか、この本については栗原さんへのインタビューをぜひ参照にしてもらいたいですが。昨年思ったのは、若手の研究者を含めてアナキズムへの関心が再び盛り上がっているのかな、ということですね。その関心から栗原さんの本を読んでアナキズムをきちんと考え始めたんですが」

S「11月に福岡に住む森元斎さんに話を聞きに行ったのも、その流れね?」

K「そう。森さんの『アナキズム入門』はこのあと紹介しますが、こちらは世界的に知られるアナキズムのご本尊の人たちについてですね。でも森さんの本を通していろんな広がりがぼくのなかにあって本当に感謝してるんですよ。で、日本のアナキズムに関して考えるきっかけとしては、栗原さんのおかげの部分が本当に大きい」

S「デヴィッド・グレーバーなどもそうだろうけど、アナキズム再考という流れはやはり今のグローバリズム経済の暗部が噴出してることとか、グローバリズム経済で人々の移動が激しくなると、ナショナリズムが刺激される。そのナショナリズム=近代国家とは何か、その自明性っていったい何よ?という根本的な疑問に即して考えるツールとしてアナキズムという思想があった、ということかな」

K「まさにそんな感じなんです。で、本書に即して言えば、伊藤野枝さんというのは大杉栄や前夫の辻潤などを通して十全にアナキズムの思想とか、個人主義とか、徹底した自由主義の思想を身につけたんだと思うんだけど、思想から学んだからと言うよりも、元々の気質としてそういうタイプの人として描かれている気がする」

S「栗原さん曰く、『わがままな人である』と」

K「とはいえ、野枝の「わがまま」って、客観的な認識を経た上での自由の希求だったんだと思う。それは伊藤野枝自身の文章を読めばすごく感じるところ。なぜ自分はこのように考え、このような行動に至ったのかということは彼女自身の透徹しつつ平易な文章に触れればよく分かる部分じゃないかな」

S「本書で参照されている地元の担任の若い女教師の自殺を取り扱った小説、『遺書の一部から』を前半でけっこうスペースをとって取り上げてるね」

K「『青空文庫』にも格納されているからぜひ全文を読んでもらいたいんだけど。素晴らしい追悼作品。これは直接行動としての自殺であると。自分のことは自分で決めるということを示す行為で、ただ可哀想な死に方をしたんじゃない。自分の生命を縛っている縄を自分で断ち切るのだ、と。これは日本の村社会の無自覚な息苦しさを断じて、同時に自殺した先生に投影して、先生共々野枝も自己のアナーキズムの精神を告知する、緊張感ある作品じゃないかなと」

S「アナキズム思想というと、権力に弾圧された歴史があるし、実際に大杉、伊藤野枝は関東大震災のどさくさで甘粕大尉らの官憲になぶり殺されたわけだけど、そういう重い歴史事実を取り上げながら重苦しくない評伝になっているのは、これは栗原さんの筆致の軽やかさに負うところが大きいのではないでしょうか」

K「まさに読まれることを考えられた本としての完成度ですね。栗原さんはその後どんどんアジテーションとひらがな多用が目立っていくけれど、この頃は初期の『大杉栄伝』と現在との間にあって、もっともバランスがとれた逸品だと思う。栗原さんが持つ「文体」が確立した作品でもあるんじゃないかなぁ」

S「この現在の社会。さっきもいったけど、すごく息が詰まる傾向が増していると思うんだよね。それは僕らの中に他者との比較癖、という要素もたぶんあると思う。競争経済の暴走のみならず、他者との同調意識にとらわれやすい日本人意識も絡んでいる。だから、スポーツ選手などでも記録や順位より、常に自分自身との闘い、自分自身との向き合いかたのほうを大事にしている選手に自分はすごく好感が持てるんだけど。例えば栗原さんは大杉栄のいわゆる「生の拡充」とは何か?ということについてこう言っている。「ひとの生きかたに、これという尺度はない。つくりたいものがあればつくり、かきたいことがあればかき、うたいたいことがあればうたう。失敗なんてありはしない。自分の力のたかまりを自分でかみしめるだけなのだから」って。これは勇気をもらえる言葉だなあ」

K「そうそう。ある意味でこれぞ自己啓発じゃないか(笑)。そもそも自己啓発という形式に狙われること自体が他人に自分を持って行かれちゃってるわけで。始まりは自分の中なんだよね、核心はあくまでも。そのためにも自分なりに自分の望む方向にむかいたい。もちろんそこには自分と現実とのあいだの計算も必要になるわけだけど」

S「あとがきで、わがまま、友情、夢、お金。きっとこの優先順位がしっかりとわかっていたひとなんだと思う、って書いている部分がまさにそこに呼応しそうだね」

K「ああ。だからすごいこの人もセルフコントロールの意識が根づいているひとなんだろうなあ。僕はね。野枝のすごさは生活実感からアナキズムの思想を辿り、紡ぐことができた点にあるんだろうと思った。
 田舎で学んだ若い女先生の自殺、パートナーとの関係、ハマったミシンというものの各部品の動きから認識したこと、田舎の生活の相互扶助。そういった実感の中で考察したことがアナキズムを考える思想と結びつけることができたんじゃないかと。けして上から与えられたものを吸収したものじゃない。だから強い」

S「イデオロギッシュじゃなかったんじゃないか、ということだね」

架空対談・私の2017年の10冊(2)いまモリッシーを聴くということ


S「で、二冊目はブレイディみかこさんによる元ザ・スミスの詩人ボーカリスト、モリッシーのザ・スミスとソロアルバムの全解説です」

K「ブレイディさんがこういう本を手がけてくれたことが素直にうれしいのと、先のジョン・ライドンの話で言えば、セックス・ピストルズ~PILってちょうどリアルタイムで自分、聴いたのは78年から83年頃までなんですよね。で、79年頃から81年くらいまでってぼく自身がかなり精神的にやばかったんだけど、同時期にイギリスのインディの新人たち、いわゆるポストパンクといわれる連中がどっと出てきて、その時期がもの凄く刺激的だった。パンクバンドでも初期から凄く音楽的に飛躍したバンドも出たし、ポップス側の新人も面白かった。ポストパンク勢は演奏技術はともかくとして、非常に前衛的だったり、実験的だったりして。その流れがかなり行き尽したあたりで、いま、いわゆる"ネオアコ"と呼ばれる、死語だろうけど。その流れからザ・スミスが出てきたと。日本ではそんな紹介のされ方だったと思う。僕は「デス・チャーミング・マン」の12インチシングルが初めての出会いなんですよ。凄い爽快な曲。やみつきになっちゃう。で、ファーストアルバムはラジオで紹介されて聴いたんだけど、何か独特な湿り気を感じて「ああ、これはイギリスのドメステックなものなんだろうなあ」と感じた。詞が当時のロックとしては独自でやばくて、ラジオのデスクジョッキーもその切り口で紹介してたね。とにかくイギリス期待の大新人だけど、どう解釈したらいいか、ってDJも戸惑っている様子だった。アルバム購入して歌詞カード読んでひっくり返りました。これはやられた!と」

S「ザ・スミスがデビューしたのが83年。解散が88年だから実質活動期間は5年。それに対してモリッシーは昨年新作を出したから、ソロになってからも今年で30年になるね。こんなに長くソロで一線でやるとは」

K「僕もね。だからやっぱりザ・スミスというのが格別過ぎたから。最初に話したとおりPILなどを筆頭にするポストパンク勢がやり尽くして極北化した英国にスミスが80年代英国インディロックをひとり背負い立った、というイメージだね。まあ、サウンド的にはジョイ・ディヴィジョンを改名したニュー・オーダーがいたけど」

S「ブレイディさんは「はじめに」でこう書いてる。「モリッシーのアーティストとしてのキャリアを振り返ることは、80年代からの英国の文化や政治を振り返ることでもあり、この国(英国)でいま起きていることを理解するという難しい命題に着手する上でも役に立ちそうである」と。いまのブレイディさんの仕事であり、考えている要素にミュージシャンで作詞家としてモリッシーがそういう位置を占めているというのは、ファンとしてはすごいうれしいというか」

K「シンプルにそう思います。ファーストアルバムでマンチェスターを象徴する、あるいはモリッシーにとってスミスのデビューを象徴する内容として「ムーアズ殺人事件」の記述を占めていたり、「スティル・イル」が実は労働党政権が初めて政権を握った「1945年」の精神。その夢にはもう戻れないんだ、という意味合いの歌だという見立てとか。ハッとしました。そしてセカンドアルバムからモリッシーの視線が自分自身から社会に向って、「鬱日記」から「イングランド日記」に変わる、とか。そこ同感、同感。また同感という感じ」

S「「プリーズ、プリーズ、プリーズ」を大学生が学費値上げ反対の闘争の中で歌うのを目撃してハッとするような美しい場面だったとか。モリッシーお得意の負け組の歌が、敗北主義でも次の何かに繋がるかもしれない、って。それくらいモリッシーの「負け唄」の歌詞の力は強い」

K「本当にそう思う。歌詞の見事さは音楽を作る人の転調の見事さにうならされるのと似て、このロック界詩人の「そうきたか」という唸るような言葉のテクニカルなスキル。直感でやってるんだろうけど、その才能は本当にすごい。テクニックもあるだろうけど、強烈に感情が含まれていることがわかるんだよね。英語が分からなくても、邦訳で読むだけでも」

S「モリッシーの作る唄の世界について非常に的確な指摘をブレイディさんはされています。「モリッシーの場合(中略)奇妙な二面性がある。ひたすらポエテイックで人を泣かせる叙情的な書き手と、乾いた目線で社会を切り取るドライな書き手、というふたりの人間がモリッシーの中に難なく同居しているようだ」と。で、セカンドアルバムの『ミート・イズ・マーダー』は後者の彼が幅を利かせているアルバムだ」と。

K「80年代はモリッシー出自の英国労働者階級にとって、保守党のサッチャー首相が国内を牛耳るという暗黒時代ですよね。徹底的に労働者階級がいじめられた時代に中性的に見えるモリッシーの「そこまでいうか」という唄の力でそれこそフーリガンや、ハード・パンクスみたいな人たちの心もガッシとつかんだという。日本に住む僕は本当に最悪なギークの時代にハマってたわけだけど、イギリスの聴かれ方はもっと大きな幅があるわけで」

S「そういう意味では「英国ドメステックなものだ」という直感は当たらずとも遠からずかもね。だけどサードアルバムに至って、ザ・スミスというバンドのワールドワイドな実力が示されたね」

K「そうそう。だから、モリッシーがガンガン勢いを増すに従って、ジョニー・マーの才能もグングン上昇するばかりという。もう、このあたりからはアルバムに入ってないシングル曲も含めて追随許すものなし、ですね」

S「最後のアルバムもメンバー間に不穏な空気はなくて、メンバー全員スミスのベストアルバムはラストアルバムだという話だけど。この辺、なんでモリッシーとジョニー・マーの関係が急に悪化してマーがバンドを抜ける経緯になったのか。ジョニー・マーの自伝を読んでも、とにかくマネージャーがいなくて音楽に集中したいのに自分がマネージャー兼業しなければならなくて、疲弊して。でもラストアルバムの頃にマネージャーがついてその問題は解決したはずなのに。新しいマネージャーを巡って自分だけが孤立したと。そして先にメディアが自分がバンドを脱退と書き立ててそのまんまメンバーとの折り合いがつかなくて抜けた、と記述されてるけど・・・」

K「人間関係を巡る不思議。やはりそこのケアマネージメントが出来る体制がなかったのかな?いかにもインディレーベルのバンドらしい最後というか。で、モリッシーはずっとスミスを真剣に再結成したく思っていたわけで。モリッシーのほうがずっと傷が深かったはずだけど、意外にもソロのモリッシーはきちんとアルバムをルーティンで出していたというか、精力的だったというか」

S「そう。まあ立場の違いもあるだろうけど、ジョニー・マーもさまざまな素晴らしいミュージシャンと活動を重ねていたけど、88年以後のソロの活動はモリッシーのほうが結果として遙かに精力的だったと言える」

K「90年代にはおおむね2年ごとにアルバムを出してるしね。(ソロのコンビレーションもやたらに多い人だけど(笑))。僕はソロは最初の二枚はリアルタイムで購入しました。で、ちょっと離れてソロ中期の「ヴォックスオール・アンド・アイ」も買った。これは今でも名盤だと思う。なので、ソロは語りにくいんだけど。今回コンビものとかで何曲か埋めて聴いてないアルバムの全体像を想像しながら、ブレイディさんのソロのアルバム解説をひとつひとつ読みました」

S「ソロの期間のほうが30年と、圧倒的に長いわけでね。当然ソロのモリッシーについてなぜ世界でレスペクトされているのか分かってないといけない。ソロの彼を支えたプロデューサーや楽曲を手伝った人たちのエピソードも非常に興味深いですしね。ただ、意外にもいわゆる「モリッシーバンド」メンバーの楽曲提供をしている人たちのコメントがないですけどね」

K「『ヴォックスオール・アンド・アイ』とか、後に90年代終わりに出した日本編集のミニアルバム『ロスト』という粒ぞろいの曲を集めたコンビを中古で最近購入して聴いたんですけど。やはり、この人は何だろう?とてもヨーロッパ的なシアトリカルな要素が強い人なんじゃないかなと思ったんです。いわゆるロックンロールな人というよりは。やっぱデヴィッド・ボウイ的な要素とかね。モリッシーの初期のアイドル、パティ・スミスとか、クラウス・ノミとか。そういう演出的な、演劇的な要素に惹かれているところがあるんじゃないのかな。」

S「同時に、マチズモ的なサッカー・フーリガンとかに対する愛着とか。愛国主義者的なとらえ方をされたりとかがあって。モリッシーへの誤解の要素になっている。
優秀な才能は大概矛盾した要素を包括して表現できる人たちなんだけど、まさにブレイディさんが書いているように、ふつうは両方を股にかけることはできない両極端にモリッシーは脚を置いて立つ、と。そこが文学畑の人から、英語圏では労働者階級の人たちまで無視できない人としての強さなんでしょうね」

K「毀誉褒貶にさらされながら、世間の逆風も恐れずに言葉を発する力を持つ人。確かにこんな人は今のポピュラーミュージック界の中では稀少中の稀少ですよね」

架空対談・私の2017年の10冊(1)ジョン・ライドン新自伝


S「というわけで、架空だけど、2017年のこの10冊の本ということで話し合いたいんだけど。まず昨年の本の印象、全体ではどう?」

K「実は全体を見渡すとインタビューさせていただいた著者とその過程やその後に話の流れで影響を受けて読んだ本が印象に残った10冊になりましたね。大枠では「アナキズム」ということが基本ラインになったと思う。で、著者の方と接点があるブレイディみかこさんの本、特に『子どもたちの階級闘争』が図抜けていた。何度も涙腺が緩みました」

S「ブレイディさん昨年は本当に生産的で。ミュージシャンの本も一冊17年の10冊に含めてるけれど。岩波の「図書」でもアナキストの女性たちについて書いてるよね」

K「それがまた素晴らしい。本当に本格的な作家としての力量をお持ちになってるなと思う」



S「で、まず一冊目ですが。『ジョン・ライドン新自伝―怒りはエネジー』ですけど」


K「あとで調べたら一昨年の本でした(笑)。ということは、この年末年始に読み返したので、もうすでに三回くらい読んでるかもしれない。いろいろあったので、てっきり2017年に出た本だと思ってた」

S「ええ?この本、学術書並みのページ数でしょう?590ページくらいはあるよ。しかも2段組だから、すさまじい活字量だ」

K「凄いよね(苦笑)。でもファンだからだとも言えるけど、すごい読みやすい。ライドンの語り口の持って行き方って、もったいぶったところが無くて、スピード感がある。それこそ彼のパブリックイメージ通りの翻訳をした翻訳者の力量が大きかったと思う。この本の前に最初の自伝があるけど、乱暴なことを言えばそちらはいらない。生い立ちからの語りだしからいえば、この本で詳細だし、これ一冊あれば十分」

S「ジョン・ライドンと言えばセックス・ピストルズのボーカリスト。レコードデビューから一年あまりでバンドは解散してるんだけど、その1978年以後から2013年くらいまでの記述が詳細に描かれている。近年ではロンドンオリンピックでセックス・ピストルズの曲が使われたこととか、ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」の出演の打診と、その企画がボツった話題あたりまで。けっこう直近のことまで書いてあるよね」

S「個人的にはやはり、セックス・ピストルズの解散後、パンクス仲間と結成したPILというバンドの内実が興味深くてね。そこは最初の伝記でも記述されていない部分だったから。セックス・ピストルズはやはり「アナーキー・イン・ザ・UK」「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」という2曲で英国社会のみならず、世界中で大きなちゃぶ台返しをやった怒号の革命的ボーカリストとして。そしてPILはその外側に向っていた攻撃性をまっすぐに自分と聞き手自身に反転したというか。内向した攻撃性に向うロックの前衛と革新を示したアルバムを70年代の終わりから80年代の初めに三枚出した。そのメンバー(ギタリスト、ベーシスト)の異能も含めてすごく関心があったんだけど。やはり内側にむかう緊張感あるサウンドの要の人物たちのキャラはあまりに個性的すぎてジョンにも手に余ってしまった、というか(苦笑)」

K「ねえ?ジョン・ライドンが一番やっかいな人なのかと思ったら、ギタリストがとてもムズカシイ人だったらしくて。彼の言葉を借りれば「生のままの酢みてえな野郎なんだよ」という(苦笑)。この表現でわかるね」

S「ボーカリストとしての初期PILではソーシャルなメッセージ以上に、「怒哀の感情」を自在多彩に表現できる才能の人のイメージがあって。僕にはそこにカリスマというか、もっといえば「シャーマン」のような存在感覚を抱いていたんですよ。だから70年代の終わりから80年代の初めまではものすごくミステリアスな雰囲気があった。情報も無い時代だったから。端正な顔立ちで痩せこけたルックスも含めてすごくシャーマニックで神秘的だった。でも、すっかり中年太りして90年代真ん中にセックス・ピストルズを再結成したり、セレブが無人島に取り残されるリアリティ番組に出たり、バターのCMに出たり。ミステリーどころかすっかりコメディアンの風情で再登場して。今じゃすっかり自然体で、やたらに饒舌で大笑いをする人なんだと(笑)ぜんぜんスキも見えるぞ、と」

K「そのあたりのイメージを覆す世間お騒がせの経過の記述もあるんだけど。ファンが持つイメージを裏切ることも理解した上で、ときには気乗りしなくても自分自身と問い合いながら、「行っちまえ!」となるとやっちゃうという。その描写も説得力があるよね。」

S「記述の中で、確か一番自分に厳しい批評家は自分自身だ、みたいなことが書いてありますよね?それはひとつには少年時初期の髄膜炎で6,7ヶ月の昏睡状態があったことが体験として大きいんだと思う。すごく聡明な子どもだったんだけど、8歳のときに病気のせいで両親も自分の家の記憶も全部失ったと。で、記憶をひとつひとつ辿り直すために自分にそれを呼び戻すものすごい自己鍛錬を強いたと。また、とにかく本を読むことを救いにしたと。病気の影響で幻覚も見たし、その後は脳と心の対決みたいなことを自分に強いた。それが強烈に現実世界の理解と分析にこだわる彼の資質を作ったのではないか。ジャーナリズム相手の強烈な切り返しとかは自分自身との対決を経てるから、他者との対峙のほうはそんなに難しくはなかったんだろうね」

S「あと思ったのは、彼の育った環境。ロンドンのアイルランド人コミュニティに住んで相当貧困地域みたいだけど、コミュニティが残っていた。兄弟も多くて長男の彼は今に至るまで兄弟、友人との関係はずっと続いていて、今でもその関係が残っている。そのあたりは体当たりで生きてきた彼を守る防波堤になってるんじゃないかな。妻のノーラさんの助けも大きい」

K「そうそう。そうね。で、自分の両親をすごく大事にしてるんだけど、同時に凄い田舎者扱いにしてるんだよね(苦笑)。訛りがひどい、とか。そして単なるコミュニティ礼賛でもなくて、不作法なコミュニティの人間には不快感も隠さない。そういうコミュニティの二重性にもけっこう正直で。義理の娘になったパンク仲間のアリ・アップの子どもを巡って相当な対立をしてたりとか。そのあたりは理性に対する信頼を非常に持つ人なんだなと」

S「パンクはニュー・ウェイヴで、オールドなロックミュージシャンは嫌っているというイメージがあったんだけど、実はそうでもないことも赤裸々に。やはり年齢を重ねてサバイバルしてきた人だけあって、すごく判断基準がオープンなんだと分かった。全然狭量な人じゃなかったんだな、という。むしろ自分のエピゴーネンみたいな存在たちにあきれてた」

K「本当にひとりのきわめて個性的な人間の叙述として読んでいて面白い。テンポが快適だからメチャクチャ長い本で確かに読み通すのは時間がかかるけれども、飽きるところはなかったな。もちろん動向に関心がある人にとって、ということにはなるけれど(笑)」

S「パンクのオリジネーターの成長の記録としては必読ですね。3300円×税はけして高くないと思います。」

K「で、彼がアナキストかどうかというのは最後のほうに載っています(笑)。簡単に、ですけどね。僕は“明るいニヒリスト”という感じを抱きましたけどね」

S「そうとうタフな地域に育ったハードコアな人ではありますけどね、やっぱり」

K「そうそう、そういう地域性のこととか、サッカーフーリガン的なフットボールと土地柄。みたいな英国労働者階級の固有性に関することも知ることが出来る本です」


2017年12月19日火曜日

こちらのブログ、また超久しぶりです。

新聞の夕刊には月イチプラス程度に社会時評(批評)が載るのですが、私は吉見俊哉さんという人の時評のファンなのです。で、今月の時評、出だしから超キャッチーだった。
「1人の人生が、その社会の歴史の大きなまとまりと一致することなどめったにない」。

何ごとか?と思われるかもしれませんが、齢重ねると、まさにそうだ、というしかありません。社会意識の傾向は、自分が社会に意識的になった頃合いとは大きな変化がある。その意味で自分の人生と、いまの社会の歴史とはズレがあるわけです。文章はこう続きます。
「たしかに古代の王国では、民は王の治世と国の運命が一致するとの幻想を生きたから、実際にも一定の対応はあったかもしれない」・・・祭政一致の世界と言うことですね。
で、「それでも侵略や災害、疫病は突然やってくるので、優れた王の治世が必ずしも幸せな時代とはならず」「残忍な王でも幸せな時代を人々はすごすことがある」。

察しのいい人は何を伝えたいのはもう分かるのではないでしょうか。つまりは天皇の交代と元号の改訂の話です。

「『平成』があと1年数ヶ月で終わる。来年、2018年にはメディアで「平成の終わり」が盛んに語られていくだろう。それにつれて、人々は「平成」をひとまとまりの時代と見なしていくい違いない。はっきり言えば、これは幻想である。メディアが盛んにそう語るから、「平成」が一個の連続的な「時代」に見えてくるわけで、つまりはメガネが「現実」を出現させるのだ。」

メディアというのは、人々にある歴史のひとまとまりを構成させる、もっといえば幻想させるということでしょう。そして資本主義社会におけるメディアはどういうものか。

「この「現実」を製造していくメディア側の論理は明白である。(中略)より多くの人が共通して関心を向ける「話題」が必要で、間違いなく「平成の終わり」は、「昭和の終わり」との比較でも、天皇「退位」という新機軸でも、大いに市場価値のある話題なのだ。だからメディア資本としてここに目をつけない理由はない。

なるほど。とはいえ、なぜメディアにとってこれが商品価値が高いのか。つまりこの話題を大いに消費したい、端的に「ノリたい」私たち一般人側にも大きな理由があるのです。

「大きく言うなら、社会がその年を数える仕方には2通りある。一方は西暦のようにある出来事が起きた年からの経過年を示す直線的方法。他方は、干支(えと)のように、一定の年数で循環する方法である」

キリスト教起源の西欧では西暦による時間が直線に向う意識のとらえ方。だから、いつか終わりが来る。
対して日本を含む元号を持つ東アジアでは循環方式で、かつ元号という形で一回昨日までの時間をご破算し、新しい治世になるという方法でしょう。古代から明治以前までの元号は実際、天災事変等々でひとりの天皇の中で元号が変更されることがあったわけです。「改元」はかつて厄災の過去をいったんご破算にする方法でもあった。「ご破算で長いましては~~~」ということでしょう。しかし、それは循環式のアジアにおいても、西欧式の近代国家を構築すると変化が起きてくるわけです。

「ただ、近代に近づくと建国や革命、統治者の人生と「ご破算」になる原点を一致させる傾向が強まり、歴史の時間とは、要するに国家の時間であると信じられるようになっていった」
・・・フランス革命暦はその典型だと。

「日本人が西暦を受け入れつつなお元号で歴史を捉えることにこだわるのは、この「歴史をご破算にする」魅力が理由かもしれない。(中略)
「だが、私たちの生きる現代は、そのようには歴史が成り立っていない。未来は過去との連続と切断の交錯の中にある。」

そうなのでした。あしたは、昨日との切断ではなく、実際は「時間」は人々みなに平等に、フラットに、ただダラダラと同じ時間が続く。それが客観的事実です。
ですが、客観的事実とは別に人の生きる時間は実は社会の現実とはまた別に、一致はせず、主観と現実が交錯し、連続性を実感し、かつ切断を実感するそれぞれの「個人の時間」を生きているのでした。

吉見さんの結論は平成は語感とは逆に失敗が連続する時代だった、という認識で、それは僕も共有します。

そして僕が感じる大事なことは、歴史の時間を国家が規定する時間に合わせない、あるいは別に合わせる必要も無かろうということです。ですので、それを基幹として腹据えてさえあれば、国家やメディアのイベントもひとつのネタとして相対的に観ればよいのでないかというところに落ち着けるのではないかと思うのです。
その意味でこの吉見さんの批評は目が覚めるような筆致でした。ありがたいことです。

2017年5月26日金曜日

またもやお久しぶりです。(長文です)

 こちらのブログの書き込みもまた久しぶりです。
 父が亡くなったのが先月の26日でしたから、丁度ひと月が経ちました。
 やはりひとひとり送るということはそれなりにその後のことも含めてなかなか大変なことです。四十九日を迎えるまでいまは父のお骨と日々を過ごしているのですが、無事に納骨を済ませ、動産相続の手続きや、土地建物の相続移転登記など終えるまで細かな事務がそこそこ多いのです。行政書類も揃えないといけませんし、認知力が落ちた母の貴重品を納めていた金融機関の貸金庫の鍵のカード等も本人がさっぱり分からなくなってしまい、言わなくてもいい言い合いにならざるを得なかったりして、なかなか大変ではありました。やはり現代では亡くなったあとのことを考えて、遺書とかエンディングの準備とかは必要なことですね。両親は昔の人ですから、そういうのが何となく気乗りできない時代精神できましたから、終わってから事を始めなくてはならなくなりました。世帯員全員が揃ってるわけではない中、印鑑登録証明や実印が必要になったりして。すべての相続人のそれらすべてが必要になるわけです。父は旧樺太出身ですが、出生地の登記簿が必要とかになって、なかなかやっかいでした。

 先日テレビで高齢者の低栄養の話をしていましたが、まさに晩年というか、ここ4年くらい前から食べられない状態が続いていた父は逆に意識は鮮明で、覚醒力が高かったため、まさに「ふたつ良いことさてないものよ」で。ともに学年違いの同い年の90歳。母の場合は身体も衰えてはきましたがまだ病気ではないので、その代わりに我が家の経済をひとりで背負っていたために、そのあたりが認知力が落ちてきたことによって出来なくなることによるちょっとしたドタバタはありまして。今はある程度、私が任されることでいちおうの事柄が進んでいます。
 ですので、しんみりと父親のことを考えるいとまがなくて、いま同じ部屋で過ごしていても、情のある展開や気分にはなっておらず、誠に申し訳ない限りです。
 個人活動であるインタビューも音声を信頼できる方にある程度お手伝いをいただいて、なんとか一つずつことを進めて行きたいですし、その準備はどうにか進み始めてもいます。6月7月にかけて頑張り、アップしていく努力していきます。

 父の様態が急変したのは介護老人保健施設から連絡が入って隣にある病院に運びますという連絡があった4月24日の月曜日でした。バイト先から母と向かった時は酸素マスクをつけた状態でかなり肩をゆすって苦しそうだったので、僕もさすがにこれはただ事ではないな、と思いました。目はしっかりとしていましたし、こちらにも気づいていたけど言葉は出ない。ときおりうなり、肺炎悪化させないために看護師さんから痰を吸引しますよと処置されているときに「うう!」と唸った姿はさすがに痛々しく、僕がひとつ自分で心残りだったのは、身体を触ってあげたかった、さすってあげたかったなと。でも、僕は見つめてあげるだけでさすってあげたり、身体に手をかけたりしてあげられなかった。情けないほど現実の自分を超えられませんでした。
 次の日は少し落ち着いて安心しましたが、やはりしゃべることはままならず、ただこちらの言葉はよく了解しているようで、「つらい?」というと、うなづいて、そして帰り際に母に向かい酸素マスクを少し外してようよう「くるしい」とだけ。そして次の日の朝7時40分頃バイト先に7時32分心停止し、亡くなったという連絡が入りました。月曜日の日に何度か訊ねていた近くのセレモニーホールである程度準備と見積もりをしていたのですが、思ったほど早く逝ったのは早すぎたような、でも長い闘病的な生活を思えば、戦いきってくれたんだな、本当にお疲れ様でした、とも思いました。

 この1年前から病院に入院させてからまっすぐ老健入所、老人病院と行ったり来たりで、基本もう在宅は無理だと私が決めていたし、父自身も母を頼れないと諦めて、介護が充実している病院や施設生活にほぼ納得というか、事実は諦め半分だったと思いますが、愚痴も言わずに適応してくれたのは本当にありがたかったです。昔の人は本当に我慢強くて忍耐力があるなと思います。
 ただ、父の初七日の次の日が晴天の夏日で一挙に桜が満開になり、「せっかく家も建て替えて桜が見える部屋だったのにな・・・」と思えば、申し訳なかったような、残酷だったような気がします。ぼくが残酷だというより、頑張って家の上物を二回作ったような経済的力量を持っていたのに、最後は集団生活なんだなと思うと、そのあたり冷静に考えるとやはり残酷というべきか、何というか、「そういうものなのだなぁ」という感じです。

 そのあたりのことは考えさせられますね。ある意味では戦中戦後そのものを体現する人だったな、典型的な人だったなと思います。私はその典型的なところで育った、きわめて幸せな生を生きているわけです。ごめんなさい。いや、別に謝ることもないんだけど(苦笑)。なんだかねえ。

 葬儀は本当に内々にしてくれと言われてもきたし、親戚筋も高齢者ばかりだし、僕も自分の身近がいないので、内地に居を構える兄側の縁者中心でしたが、それでも10人程度でお通夜、告別式、火葬へと。とりあえず同居の自分が施主的な勤めをしていましたが、以外と普通に事務的にそれをやってる自分をもう一人の自分が冷静に見ている感じで意外でした。
 その意味では母が頼りなくなってしまい、ある種の役割の交代はやはりあるものなんだ、と思いました。私の中では母は、これ、母の父、つまり私の祖父ですが、僕が大学1年頃に亡くなったので昭和もまだ60年に入る前だったと思いますが、なので葬儀社も今ほどには蓄積のあるセレモニーシステムが確立してない頃に割と他の親族が呆然としてる中で葬儀社の人と事務的なやりとりをし、全体を見渡していたのが母だったので、保健師やってた関係もあり、「母親は社会性高いなあ」と思っていたので、このたびの父のことではやはり一番危なかしいのが母だったあたりで。役割の交代はあるものなのだと。というか、自分も今回感じたことだけど、母も当時はほかにやれる人がいない以上自分がやるしかないと思ったのかもしれない。

 だから、母のプライドがいま事務上厄介なことがあるけど、そのプライドは意識しなくてはいけないですよね。と思っています。

 Facebook中心に父のことをよく書き出したのが4年前のいま時期だったと気がつきましたから、ちょうど4年前くらいから父もいろいろ大変だったのだと思います。で、思えば僕のフェイズもその頃から意識がちょっと変わってきていたのかもしれない。いずれにしても、本格的に介護の状態になってから、どれだけの福祉関係者や医療従事者の人とコンタクトとったか分からない。数えられきれないと思います。その場限りの感じから、かなり密度が濃いところまで。ですから、医療福祉関係者の人には本当に感謝していますし、またその大変さをしみじみ情を持って「大変ですね」といいたい。手を合わせますよね。
 とはいえ、やはりそれは職業上ということでもであり、意外と機関が変わるとあっさり関係が切れます。例えば在宅のケアマネージャーとかとも父が老健に入ってもコンタクトとれるものと勝手に想像していましたが、見事にぷっつり何の連絡もなくなりました。施設もある意味ではそういうところがあります。僕はそれをくさしているわけでは全然なくて、それだけ次々と父のような存在がおられるということでしょう。老健は父が退所するとすぐ次の人がその部屋に入所します。それだけ待機者が多いということですね。意外と知られてないことかもしれないので、いちおうお伝え程度として。

 いずれにしても、セレモニーもとてもよい雰囲気を作ってくれましたし、いまもアフター・サービスもしてくれていますし、煩瑣な事柄をある程度サポートしてくれる体制も取ってくれます。それも無粋な言い方で申し訳ないですが、ある程度のお金を親が貯めていてくれていたおかげ。。。
お墓も使用権だけ購入し、まだ墓石を建てていなくて、そこからやれ家紋がどうだ(普通は入れるらしいのです)、法名も点やハネがあると違う、位牌を持ってきて頂きたく・・・などなど。なので、墓地がある母方の霊園まで車で確認しにいったり。。。僕は故人を畏敬する気持ちにいささかも曇りはないですが、「仏教、金取りすぎじゃあねえのか?」と多少は言いたい気もするのです。(ああ、なんと不敬な人間!)

 でも、どこかで「先祖代々の家」が日本の標準的な薄く堅牢な保守性、宗教性なのかなとも思ったりして。まあ、僕はこの伝統を自分が生きている限りは親に対しては守り抜きますが、僕は全然いらないな。人は土にただ帰るだけだと思う。
でもそんな僕にも煩悩はあって、言葉は残ってほしいと思うんだな。自分が生きてきた言葉は残っていてほしいと。ですから、まだまだな人間なのです。

2016年11月23日水曜日

映画「この世界の片隅に」


(註:この映画の感想は、ネタバレがあります。まっさらな姿勢でこの映画を見たい人は、この感想は映画を観るまでは、見ないで下さい。)

映画、「この世界の片隅に」をもう一度観た。
一回目を観たときもアニメーションとして非常に素晴らしいと思ったし、どこまでも原作に忠実なのが嬉しかったけれども、作品後半に向かう主人公すずさんに降りかかる悲劇のあと、心に刺さってくる、原作のモノローグによる「痛み」。小まい(こんまい)すずさんが夫が不在の後で「家」を守りきれなかった負い目の負債ゆえに広島に帰りたいと言い出す20年7月の「いっこも聞こえん!広島に帰る!帰る!」と叫びだすまでの重み。そのあたりのすずさんの(心理状態を含めた)描写は映画で表現し切るのはやはり難しいのか、「安気で」「ぼんやりとした」空気を声優として表現し得たのんさんでも、そこは難しかったか、と考えたから、その後ネットで目にし続ける終らない高評価は、ぼくの鑑定眼のなさゆえか?と思って再び観にいったわけである。

再見してどうだったか。やはり改めて素晴らしいと思った。観た時間の映写がたまたま「日本語字幕つき」であったので、「これは厄介なことになったな」と思ったが、実は意外にも広島弁や、戦時下当時の言葉を字幕を見ることによって理解がリアルタイムで深まったこともあった。
そしてアニメも原作に忠実だなと改めて思い、好感が持てた。そしてぼくが一度目に見て限界を感じてしまった姪の「晴美さん」を失った後の世界。それが二度目に見たときには、「ああ、これが監督の解釈なんだな」ととても良い感じで納得した。
全三巻の原作では、最初の二巻はおおむね、大東亜戦争の戦時下の日常を丹念に、丁寧に描く「生活マンガ」の様相があるわけだが、三巻で早い段階で起きるハイライト。原作ではあの名作、「夕凪の街」のように、絶望を知ってしまった主人公がしばらく沈むこむ「右手を失った世界」は、意外とあっさりと過ぎ、原爆投下の広島まで日常の中に含みこまれている。そして原爆投下後の世界も、むしろ日常のほうが淡々とでもいうべき形進んでいく。僕は実はそれが監督の狙いだったのでは、と思ったのである。

この作品に「反戦」の要素が仮にあるとすれば、「国家」という大きな世界(戦争のために使われる飛行機、軍艦、兵器などを製造するための労働世界を含む)がどんな風になろうとも、「日常」は変わらずに続く、もっと言えば、「変えては行かない」という意志表明であるかのように、淡々と日常の描写は戦争が終っても続くのだ。
主人公が嗚咽慟哭し、娘を失った義姉が玉音放送後も平然としているかのように見せて、人影無いところで娘の名前を叫びながら号泣していたとしても、その「時間」が過ぎたら、また平然とした日常へみんな返っていく。(但し原作では日常に帰るためのクッションとして「遅れてきた神風」=「台風」の話が挿入されている)。
その日常とはあくまでも食事を作ること、着物を縫いかえること、小さな畑を看ること、防空壕を作ったり、配給の列に並んだりすること。そんな循環する衣食住の「生活のための営み」で、それはけして変えたりしない、変わらないという、主人公やその家族、隣組の人たちの強く、しなやかで、また、あえてそういうことを言葉にはしない人たちの営みだ。その意味でそのパワーは、(どうしても言葉が軽くなるけれど)やはり女性たち、婦人たちを描くことで一番の表現力となるだろう。

映画を改めて見返してみて、監督のひとつの狙いとして、上記のような、「日常を生きる人びとの強さ、しぶとさ」そしてそこから生まれる「やさしさ」が、国家という大きなものの病んだ威信や事業=「戦争」に対するアンチなのだ、と伝えているように思う。

もうひとつはいのちの循環への意識が強い、ということ。それを感じる。舞台は空襲に晒され続ける呉。そして原爆が投じられる広島がサブの舞台なので、当然、人の死(事件死)が大きな比重を占めるけれども、これも現代人の自分が言葉にするのは憚れるけれども、その死すらこの作品にとっての大きな比重なのか?と思えるときがある。戦後初めて主人公すずが祖母が住んでいた草津に帰ってくる。そこでは妹の「すみ」が体調を崩して寝ている(彼女の手首にはケロイドの後がある)。その妹の口から「新型爆弾」で父親が病死したこと、8月6日以降広島市中で母親が行方不明であること。そんな現代人の僕らが聞いたら衝撃的な語りが、(悲しみとしてありながらも)日常のひとコマのことばのように受けとめていくすずを通して映画は進んでいく。

そのように表層には見えてこない悲しみを救う要素は、ラストの被災者孤児を連れて帰り、おそらく養子に迎えるかたちでエンディングを迎える。その子どもはむろん、「晴美さん」の生まれ変わりであるし、同時におそらく遊郭に住む「リンさん」の身代わりでもあるだろう。だからこそ連れて帰られた子どもは晴美さんの実母の径子さんではなく、すずさんが育てることになるのだろう。(すずさんがおそらく子どもを生めないからだである可能性もあるだろうが)。こうして失われた人々は記憶の中で新たに、生者の行動の中で生き返るのだ。(映画では描けなかったすずさんとリンさんの関係の深さは、エンディングのクラウドファウンディング協力者名紹介の部分で描かれている)。

それにしても、原作者のこうの史代はこのような「日常」を描かせたら、そのセンスの卓抜さたるや、他に右に出るものはいまい。こうの氏のうまさは、ふとその日常の丹念な描き方の中に、非日常が忽然と湧きあがったり、ひょっと驚かせると思ったら、日常性の中に回収したり。なかなか一筋縄でいかない、不条理な部分を垣間見せる作家なのだ。「長い道」というコメディマンガの中での「道さん」が時折見せる正体のつかめなさ(この作品も、親が勝手に甲斐性がない息子に「道」という女性を妻に送り込む、という現代にはまずないストーリー)などもそうだ。

「夕凪の街 桜の国」も先ほどの「いのちの循環」の観点から言えば、「夕凪の街」で不条理な死を描いたとしても、「桜の国」二編で、再生されたいのち、桜の春の舞台という明るさに舞台は展開する。そして死者は生者の記憶の中で、物語る親や親族たちの中で再生する。
「記憶の中で生きる」というモチーフは一貫してこうの作品のいろいろな作品の中でどこか通低しているように思われるのだが。だからこそ、ほのぼのとして「安気」に思えるこうの作品の中に自然と現われるドキリとするような暗い影も、それは「循環」や「記憶の中で生きるもの」を想起させるためのもので、同時にそれらのものを含めての生である、という信条がこうの氏にあるように思えるのだが、如何だろうか。そして「決意」。決意を内側に秘めて生きるのだ、という感覚はこうの作品の日常ユーモア作品にもあり、それを晒していくともっとも強力な力を発揮するのがこうの氏の戦争を描く作品かもしれない。

多くの、良質な映画鑑賞者はこの作品にすごく感動したと同時になんとも言えない言葉のしがたさを感じることが多いのではないかと思う。この作品は日常を切り裂く戦争の中をしぶとく、やさしく、人間性を失わず、人びとの、そして夫婦の愛での負けない生活者を描ききった感動だと思うけど、同時にこの時代の丁寧で丹念な日常は、ほとんどが今の僕らの日常から失われてしまったものだ。繕い物や足りない食材を少しでも美味しくする工夫。これらはみな、正直、貧しさと表裏の関係でもあった。だからこの時代のすずや、呉の田舎街の人びとは強くてやさしく、すずは自分のおばあさんのようになる未来が予言されているようだけれども、問題はいまのぼくたちがこの映画の中で観るおじいさん、おばあさん世代、あるいはもしかしたら曾祖父母の世代たちからどこまで遠く離れてしまい、そしてどこにおいて繋がっているのかを考えてしまう、そういう描写が多い気がする。

そんなことを思えば感動の中にもさまざまな思いがあり、そのひとつに「生活の丁寧さ」への溜息もあるということでもある。少なくとも僕にはそれを感じたが、それはもうほとんど自分で取り戻せないもののように思う。いや、取り戻せないことはないだろうが、現代ではそれは自分でつかみとる主体的生活の方法となる。今ではそれは、ひとつの「選択」の時代として生きている。そういうことも思い起させてくれる映画でもあるだろうと思ったのであった。
 

 

2016年7月21日木曜日

別の時間を過ごす

老人保健施設にこの火曜日から三ヶ月の短期入所した父親に母親と会いに行った。
けっこうしょっぱい話を父はしながら、母はうつむいてこっくり、こっくりしている。
しょっぱいながらも、大事な話なんだけど。父はそんな母を顎で指して、「こういう状態だから...」というメッセージ。

実は今日、個人的に「物忘れ外来」に母について電話で事情を話した。結局三十分くらい話したけれど、これをインテイクとしてくれるそうで、あとは何とか遠からず本人が受診してくれる日を祈るばかり。
当面、いつになるか分からないけれど。看護師だったり、保健師の戦後二期生だったりするので、プライドが高いのが難点だ。

帰りに周辺でも際立って敷地の広いイオンで買出し。食材の買出しが終った後、近くのベンチに母に座ってもらい、自分は父から頼まれたNHKの週間番組雑誌を探しに。ワンフロアの横幅がメチャクチャ広いため、書店がどこまでいっても見つからない。食品売り場と正反対のところの二階にやっと見つけたけれど、今度は週刊誌置き場が見つからず。店員さんに聞いてやっとたどり着いたらほとんど雑誌がない。目当てが見つからず立てかけてあった雑誌の中から思わず手にとった「週刊金曜日」。
つい、目次をめくってひきこもり名人、勝山実さんのエッセイを見つけて読みふけってしまう。
何てしみじみとしてあったかいユーモアあるエッセイだろう。違う時間の中を、生きる同じ同志のような気持ちを持ちつつも、そこはかとないおかしみを自分は表現できない。

かくして、おくれて母親の元に辿りつく。「暖中」そばのベンチに座った母は小さくて、まるで迷子にならないように我慢している子どものようだ。ああ、これは「ペコロスの母」の世界ではないですか。
その危なげな風情を見る僕は、その母の身体に、昔の優しさと威厳を持った記憶の姿をみるばかりです。
記憶は強く、いとも簡単に壊れそうな肉体のなかに生きて、子どもを育てた歴史が時間をぐるぐる循環させる。

いま父母と過ごす時間は、ほとんど現実とはかけ離れた別の時間だ。その時間の中で眠ることはできないけれど、「あの力強いおとなたちはみんな、このようにほどけていく。そしてそのときは遠からず自分にもやってくる」
と思う。

すでに引退しているような時間をときおり過ごしながら、僕はこれを「おかしみ」にできないものかと思ったりもする。帰りの車中も母とシュールな会話を交わしながら。

壊れ物注意。働き続けた貴重なる骨董品に幸いあれ。

2016年5月31日火曜日

オバマの広島演説ー解き放たれた大きな力の世界の中で。

 現職アメリカ大統領として初めて広島訪問をしたオバマ大統領。その事実については世間では大きな話題になったが、広島平和公園のオバマの演説に言及した報道がほとんどない気がする。ほとんどが「謝罪がなかった」とか、「被災者、被災地の人たちが(謝罪がなくとも)大統領の訪問を歓迎している」とか、「原爆資料館の訪問時間が10分程度しかない」とかが話題にのぼるのみだった。もちろん、最後の資料館訪問の時間は短すぎると自分も思うけれど、おそらくオバマは大統領職を辞したあとは、広島にじっくり時間をかけて訪問する気がするので、あまりそれらのことのみ、世間で話題に上りがちになることのみに着目したくはない。

 極めてデリケートな話題であるのはわかった上で、アメリカ大統領のスピーチの内容、特に前半部分に人間の行為の本質をよく掴み、人間社会学の要を短い文章の中で見事にまとめあげたものだ、と感心したのである。おそらくスピーチライターがいて書いたものだと思うけれども、そうであったとしても、そのライターを選択し、ライターの文章を取り上げるのは大統領のオバマ自身だから、これはオバマの心情の吐露と受けとめるべきだろう。

 人間が生まれ、文化を手に入れてからどのような「光と影」の中でこの現代まで走り続けてきたかをすくいとる。これをけして加害者の被害者への謝罪逃れのために教科書的な語りに塗り替えたのだ、とぼくは受け止めたくはない。以下、主に演説の前半部分を中心に長文だが、所感を引用する。語りだしはこうだ。

 71年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった

 この語りだしの文学的な表現が謝罪の言葉の隠蔽だと思うか、普遍的な現代の闇についての警鐘の一節だと思うかで、全体の受けとめ方も違うのだろう。
 そして、被災者への想像を込めて、被災者の魂に添いながら、人間の現代までの辿りゆきをオバマは語る。

 彼らの魂はわれわれに語りかける。(中略)心の内に目を向けるように訴えかける

 心のうちに目を向けるよう、と。つまり、これから語ることをわれわれは反省しながら、どういう経過を人びとは現代に向かってきたのか考えて欲しいと訴える。以下、長文になるがまとめて引用。

 (歴史的)遺物は、暴力による争いは最初の人類とともに現れたということをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、石片から刃物を作り、木からやりを作る方法を取得し、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使うようになった。

 狩りだけでなく、「同じ人類に対しても」使うようになったという部分が重要。

 いずれの大陸も文明の歴史は戦争であふれている。穀物不足や黄金への渇望に駆り立てられたこともあれば、民族主義者の熱意や宗教上の熱情にせきたてられたこともあった。帝国は盛衰し、民族は支配下に置かれたり解放されたりしてきたが、節目節目で苦しんできたのは罪のない人々だった。

 人間歴史の見事で簡潔な描写。「文明の歴史は戦争であふれている」「民族は支配下に置かれたり解放されたりしてきたが、節目節目で苦しんできたのは罪のない人々だった」。これ以上も以下もない尽くされた言葉。
 そして思想家たちによっても、人びとの本能や欲望のドライブは抑えられないできた現実。

 思想家は正義と調和、真実という理念を前進させていた。しかし、戦争は、初期の部族間で争いを引き起こしてきたのと同じ支配・征服の基本的本能によって生まれてきた。新たな抑制を伴わない新たな能力が昔からの(支配・征服の)パターンを増幅させた。
 数年のあいだで約6千万人が死んでしまった。われわれと変わることのない男性、女性、子どもが撃たれたり、打ちのめされたり、行進させられたり、爆弾を落とされたり、投獄されたり、飢えたり、毒ガスを使われたりし、死んだ。

 人類初期の部族の闘争の本能と支配の本能で、先の大戦まで死の暴力を国家の名の下、正当化してきたのだ。そして、人びとが生きるために必要とした発明の母はどういう運命を辿ってきたか。

 われわれを人類たらしめる能力、思想、想像、言語、道具づくりや、自然界と人類を区別する能力、自然を意志に屈させる能力、これらのものが比類ない破壊の能力をわれわれにもたらした。

 オバマはこの言葉の中で、まるでわれわれ自身の生きることそのものの根本矛盾を前に立ちすくんでしまっているように聞こえる。だが、残念ながらわれわれはその矛盾を塗りつぶすために・・・。

 物質的な進歩や、社会の革新がこの真実からわれわれの目をくらませることがどれほど多いことか。気高い名目のため暴力を正当化することはどれだけ容易か。

 まるで「神」のごとき高みからの警句のようだが、真実の言葉だし、オバマは「われわれ」のひとりとして、「こころの内に目を向けて」被災者の魂の語りを聞いて語っている、と読むべきだ。

 偉大な全ての宗教は愛や平和、公正な道を約束している。一方でどの宗教もその名の下に殺人が許されると主張するような信者を抱えることは避けられない。

 そうだ。この部分も勇気を持って公平なことを語っている。ある種の宗教原理主義から利益を得る者に対する勇気ある言辞である。どの宗教もその名の下で、殺人が許されるのだと主張する信者を抱えているのだ。

 以下の発言は既に一国の国家指導者を超えた、相当ラディカルな発言だ。これは国のリーダーとして勇気ある発言だし、オバマが「政治家」より「学者」向きの存在である事が良く示されている。

 国家は、犠牲と協力の下に人びとを結びつけるストーリーを語りながら発展してきた。(中略)このストーリーが相違を持つ人びとを抑圧し、人間性を奪うことにも使われてきた。(略)
 現代の戦争はこの真実をわれわれに教える。広島はこの真実を教える。技術の進歩は人間社会が同様に進歩しなければ、われわれを破壊に追い込む可能性がある。原子の分裂につながる科学の革命は、道徳的な革命も求めている。
 だからこそ、われわれはこの場所に来た

 オバマはアメリカに生まれ育ったわけではない。インドネシアで少年期を過ごし、思春期をハワイで、そして青年になってからアメリカ大陸に渡ってきた人だ。自由を謳歌し、自由を学んで、その自由を知的な自由として、人間と社会を考える自由を培いながら育ってきた人だろう。それゆえに、おそらく本質的には国家や共同体の「縛り」に頭を押さえつけられている人ではない。

 もちろん、退任が決まっているからいえる事もあるだろうが、彼の自由な精神から言えば、正直なところ、オバマが生きて育つ時代はもう第二次世界大戦も、太平洋戦争も終った時代だ。
 彼の立ち位置の強さは「かつての戦争」の加害・被害の立場からは少なくとも「物理的には」自由なところにある。では、あと大事なことは、オバマに(限らずだが)どのような人間観、社会観、世界観があるかということだ。その意味では彼は相当ラディカルで、ある意味アメリカという国家のリーダーとしては良い意味で相当過激なことを語っているのだ。そのことに着目すべきだろう。人間社会がどのように生き残り、どのような人たちを犠牲にし、そしていまどのような集団の縛りの中で生きているのか、ということを。

 悲惨な、広島のかつての現実を前に、わたしたちの考えるべきことは人間集団が何をしてきたのか、ということだと思うのだ。
 後段に彼はこのように語っている。人間の限界を考えれば、この後段の言葉を自分の身に沁みこませるよう、努力するしかない。それはオバマ自身に、ぼくら自身に、常に問いかけられる。それが死者たちの魂の語りかけ、訴えに耳を澄ませ続けるということではないだろうか。

 
われわれは過去の過ちを繰り返すよう、遺伝子によって縛られているわけではない。われわれは学ぶことができる。われわれは選択することができる(傍線、ブログ筆者)

 理想を実現することは、自分たちの国境の内においてさえ、自国の市民の間においてさえ、決して簡単ではない。しかし(理想に)忠実であることは、努力する価値がある。追求すべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想だ。

 あの演説の日、「政治家は結果がすべてだ」と言い切った解説者がいた。その彼の言い方はつるつると軽やかで、ことばによどみがなく、自分のことばが消費の中ですぐに消えても構わない。否、ことばはそのときに人びとに「そうか」と思わせる程度の洗脳道具にすぎず、自分の顔など忘れて構わない、名前など忘れてくれた方がいい、とでもいいたげに見えた。
 オバマがリーダーを行う国の背負うマイナスの歴史、いまもかわらぬ暴力的な背景を考えれば、オバマの「自国の市民の間でさえ理想の共有は簡単ではない」という言葉の重みについて想像もつかない人は寂しい。

 オバマの大統領職の苦悩というものも、同時に感じた演説であったが、これは冒頭に書いたように人間社会の歴史を実にシンプルに描ききった伝説になるべき演説だと個人的には思ったのだ。
 それは結局、ぼくひとりかもしれない。少数にしかそう思われない引用部分であったかもしれない。
 だが、僕にはこの演説がのちのち何かのテキストに取り上げられるように思えて仕方がない。

 意味ある言葉を発する政治家は本当にいま世界を見渡してもまずいない。それを考えればオバマの言葉はやはり特別で、際立っている。日本の首相などは言葉の重みの意味では全く比較すらできない。日本人としては実に残念で、悲嘆にくれてもいいくらいなものだと思う。


https://youtu.be/BECPsmNbnWc?t=2m54s

2016年5月29日日曜日

新ひきこもりについて考える会・五月読書会レポート

昨日は横浜で行われている『新ひきこもりについて考える会』5月読書会にこちらのインタビューサイトである「ユーフォニアム」を取り上げてくれるということで、会の世話人のかたがたにワガママをお願いして今回はスカイプで参加させていただきました。
 前回のブログ案内の通り、4人のインタビューの内容をとりあげ語り合いました。
 スカイプの音声はとても良好で、みなさんのほうにちゃんと声が届いたようだし、こちらもみなさん(参加者10名)の全員の声はよく聞き取れました。

 まず、改めて確認しておきたいのは、1月の読書会で横浜に参加した際の『ひきこもる心のケア』の話し合いに出て、少なくともひきこもりに関する集まりについては自分としては「この場はすごい」「こういう場所を自分は求めていた」ところで。その上で、いま自分が具体的に行っている活動はこのインタビューサイトなわけで、そこに着目してくれたのも「考える会」が初めてだったし、それを読書会に取り上げるという、おそらく読書にHPを使うのも滅多にないことだと思うので、本当、光栄でした。そして何より、初めて公に自分のいまやっている活動が認められたなと率直な喜びがあったのです。

 内容に関しては特に釧路で困窮者自立支援制度の活動を行っている昨年3月末にアップした櫛部武敏さんが大変好評で、それからひきこもり名人、勝山実さんのインタビューが好評でした。
 実は予習的に今回取り上げてくれた4人のインタビューは読み返したのですが、やはり櫛部さんのインタビューはいま読み返しても「すげえな」と我ながら改めて思った次第。櫛部さんの語る内容の深さ。行動とその振り返りと、教養とそれら全体が自らの中に統合された大人の知恵。そして生きざまのありようのかたち。かといって立派なだけじゃなくて、「恥じらい」や「照れ」や「反省」も大事にされるかたなので、人間的な魅力はどうしても「ありあり」です。困窮者支援の概略も含めて櫛部さんのインタビューの感想はこちらの過去ログをご覧下さい。

 勝山さんのインタビューは前編後編に分けての長文で文字通り「長いですね」という感想があり、「でも時間が有ったので全部読みました。面白い」とありがたいやら、苦笑いするやらで。結構インタビューの枠組みを離れて雑談モードの中身でも面白く読んでくれたんだなあと感謝するばかりです。これはもう、勝山名人の語りの才能にこちらがおぶさったとしか言えず。本当にこれもありがたいこと。

 今回はスカイプで音声参加したので、自然な自分の会話が反映できました。個人的な振り返りのためにレコーダーで夕食以後ずっと聞き返したのですが、自分の話しかたに関して言えば、語られている話題に対する自分の考えやそれに付随する想像と、みなさんの話の全体とを両方かぶせて話をしようとする傾向があるんだなあと思いました。そうするとまとめようとする意思はないつもりだけど、何となくまとめ的な話しに持っていく方向がある気がします。それできれいにまとまればいいんだけど、途中で「あれ?この点の感想忘れてる?」とか、「元々話そうと思っていたことがずれてきてるぞ」とか考え始めて、何となく「もぞもぞ」「ぐにゃぐにゃ」な感じになることも多々ある。

 要は、思ったことは思ったときに口にすればいいんですが、元々そういう風に話すことに慣れてないせいなのか、性格なのか、環境的にそういう振る舞いを選択するようになったのか。それはわかりません。でも、もっともっと、思ったことは思ったときに口にする癖を少し増やしたいな。苦手な部分なので。

 あと、ときおり滑舌が悪くなるときがある。これは明らかに聞き手が聴き取りに困るので直したい。ま、簡単にはいきませんけど。こういうことは自分の年になると人から指摘されなくなるので、自分で気づいていかないと。

 SSTとかは外部から訓練的にされるのは嫌ですが、この読書会の場は素敵な、話したいことも聞いてもらえる場所なので、その現実をもっとじぶんとみなにうまく循環できればいいと思うので、多少こころがけたいと思いました。7月の読書会もスカイプ参加どうぞ、と言ってくれたので、ありがたくまた参加したいと思います。嬉しいな。

 さて基本的には自分はやはり話すより「聴く」のが好きだし(あえていえばだけど)、得意はそっちかな、と。「パッシブを生かしながらそれをアクティヴに変えていく」作業に今後も軸足を置いていきたいと思います。そうするとそれはやっぱりインタビューになるだろうと思います。
 インタビューに関して言えば、提供に関して「編集をあまりしない(出来ないというのが正確?)ライブ感覚のインタビューでいいのか?」ということに関しては、当面この方向でいい、という風にして行こうと思っています。
 聞き手が素人だなあというのがありますけど、聞く対象のチョイスは悪くないと思う。この自分の直観でまだまだ当地でも話を聞きたい人は頭の中にはたくさん浮かぶので、「人文社会」の枠で何でもアリは続けて行きたいものです。アンテナも張っていかないとね。

 今後は横浜のひきこもりに関する活動家の人たち三人を順次、ペースは少しゆったり目かもしれませんけど、いい話が満載ですので、どうかひとつ、インタビューサイト・ユーフォニアム、よろしくお願いします。時おり更新されますからね!(^^♪

※この内容は「インタビューサイト・ユーフォニアム ブログ」を転載したものです。

2016年5月19日木曜日

さっぽろ子ども・若者白書

 
 
「さっぽろ子ども・若者白書2016」という書籍が刊行された。
自分は不登校あるいはひきこもりに関しての短文コラム(600字)の依頼をいただいていたので、掲載者ということで本の寄贈をいただいた。
 
刊行前にもらっていた目次案を見て、網羅性の広さ、それだけでも楽しみにしていたが、実際百人を優に超えると思われる寄稿者の名前を目次で拾うと存知あげるお名前のかたも多く、思った以上に身近な感じがした。
 
乳児の育ちの支援から青年期の課題とそのサポートまで、一冊の書籍の中でそれぞれの論者が自分の立つ現場からのレポートがあり、論がある。このような包括的な本はそう多くはないのではないか。その意味で「刺激的」な形での面白味こそないかもしれないが、乳児から青年期までの成長の足取りまでの見守りとサポートのありようの現在進行形を知るにはけして「さっぽろ」に留まることはなく、全国的な汎用性のある本となっていると思う。ぜひ多くの人に触れられて欲しい。
 
乳児から青年期のそれぞれのライフステージの節目についてまず研究者が論文を寄稿し、それぞれの現場の実践者が現場における支援の日常をレポートする。おおむねそのようなつくりで、研究者、あるいは教育関係者と、民間支援団体(主にNPOなど)が協同で作り上げた本で、チョイスの仕方もなかなかほかには見当たらないように思う。
 
まして自分のような、ほぼ200万都市にならんとする札幌市の群衆の中で埋没している者にも声がかかるくらいだから、よくぞ本当にこんなに多くの団体に声をかけ、協力をとりつけたものだと思う。締め切りや編集校正もあり(私もかなりの字数オーバーの修正を依頼された。すみません)、本当に編集部の人たちは大変だったろうと思う。
 
僕はほかに作業やほかに読む本などもあり、現在はまだ思春期の学びのシステム(通信制高校、学校統廃合問題、フリースクールについてなど)のところまでしか読めてないけど、自分が思春期の頃にはこんな情報を網羅した本はなかったので、本当に良い時代になったと思う。同時に、上昇を目指す時代から社会の持続性を探る時代に大きく変化して、新たな問題(貧困など)が浮上してるのだなあと。いつも変わらず子ども若者をめぐる育ちの課題はあるんだなあと思った。
 
これ以上はない情報の宝庫だと思うのだが、やはりその内容は支援側の仕事の本質が凝縮されていて、それゆえの活動のレポートが中心なので基本的にはサポートする側、支援する側の人向けの本になっている感じはする。
福祉従事者にはぜひ手元において欲しい本。

上記で「刺激的」な形での面白味こそないかもしれない、と書いてしまったが、読み進めると意外とふつうの意味で面白い内容もチラチラ含まれている。視点の面白さだ。
自分のコラムも普通ありえないというか、「お前がいうか」みたいな意味で異色感がある。
そういう発見もあるので(?)札幌市以外の人もどうか参考に。
本の問い合わせは以下のリンクからがよろしいかと。定価1500円(税抜)です。
「さっぽろ子ども若者白書を作る会」